シンギュラリティ
以前の記事やブログにも「シンギュラリティ」という言葉は使っている。2024年7月24日付け「技術がおよぼす抑止力」と題した記事に「シンギュラリティ(人間と人工知能の臨界点)と呼んでいるが、これはコンピューターが自意識を持つようになる日のことである。『ターミネーター』シリーズのスカイネットのシナリオだ。」人間と人工知能の臨界点と呼んだ。また、今月の21日に書いた「人工知能AIについての考察」では「AIは人工物であるので、その向こう(=人間を超える知能)には到達しない」、と主張しているものの、「人間とAIの臨界点(があったとして)に達したときどうなるのかは不明だ」とも言っている。人間とAIの臨界点=シンギュラリティのことだ。AIがAIのままでいる以上は「AIを馬に例えるならば、AIに乗って手綱を引き自分の意思通りに馬を走らせることが出来る人間になるのか、それとも馬に引きずられてどこへ行くのかも知れずの人生を送るのか。」と締め括った2024年7月5日の「人工知能と非認知能力」の記事のようにAIを使いこなしてより生産性の高い仕事をすればいい、と思ったのだ。
今月21日に書いた「人工知能AIについての考察」はボクの考えは間違っていないと思っている。しかし、今月15日からシリコンバレーに滞在し、いろいろな情報を耳にすると、どうもAIは進化し続け人間の知能に到達しさらには超えて行くのではないかと、ここ数日のあいだに思うようになってきた。そうなったらもはやAIではなくシンギュラリティである。AIとシンギュラリティは別物である、と考えればボクの「人工知能AIについての考察」はやはり間違っていない。AIが学習してビッグデータから新たな答えを導く、考えてみればこれって人間の脳がやっていることなのだ。そこで疑問なのだが、創造はするのか?例えば家具をデザインするとしよう。AIがデザインした家具は創造したのだろうか?あるいはいままでのビッグデータからより優れたデザインを集めて作り上げたものなのか?でももしそうだとしてもこれも人間がやってきたことではないか、とも考えてしまう。ここでまた壁にぶち当たる。そのときにシンギュラリティは意識を持つのだろうか、ということだ。意識とは心が作用する分野だと思う。「思う」と表現する以外ボクは神でもなく僧侶でもないのでこんな表現しかできないが、多分そうだろう。意識をもったAI、人間と人工知能の臨界点=シンギュラリティになる日が来るのだろうか。
自称シンガーソングライターのボクはAIを使って歌の歌詞を書いてもらってみた。当時は岸田政権だったが日本政府の不甲斐なさを歌にしようと思い、歌詞を書いたらなんとなんとまともな歌詞ができあがった。現時点では石破政権であるが、岸田政権から続く日本の不甲斐ない政府を唄っている。そのままでは曲とリズムに合わず、また内容も手直ししたもののなかなか完成度の高い歌詞だと思う。
🎵
日本政府の 揺れる姿
国民の期待に 応えられず
約束破りの 言葉ばかり
信頼なくす その度に
災いの連続 今の政府
何をやっても 国益なくす
リーダーシップ 欠如したまま
もはや国賊 ため息ばかり
不甲斐ない 政治家よ
責任 果たせないなら
僕たちが 国をつくる
日本から 出て行ってくれ
経済停滞 医療限界
課題山積 見て見ぬ振り
若い世代の 希望を奪う
もういらない 今の政府
日本の未来 政府の手に
ゆだねられるか 信じられるか
今こそ僕たちが 行動を
起こす 時だ
不甲斐ない 政治家よ
責任 果たせないなら
僕たちが 国をつくる
日本から 出て行ってくれ
🎵
新型コロナのころの岸田政権のときの歌詞なので石破政権ではまた異なる歌詞になるとは思うが、まさにAIが書いた歌詞の通りだ。「不甲斐ない政治家よ〜」以降はボクが付け足しした部分だが、こんな歌詞がAIで作成、いや書けるのかというほどだ。
AIは今までのビッグデータを総合的にまとめて質問者への解を出すものなのだが、すでに上記の歌詞を読むかぎり岸田政権後の日本の政治家の資質を表現している。
あたかも意識があるようにも思える。
これから先の未来はどのような世界になるのだ?
なるようにしかならないのだ。
ビートルズのLet it beの歌が聞こえてきた。
今夜も酒を呑んで眠ってしまおう。
💤💤💤