ブログ「燃料は好奇心」

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子供のように好奇心を持ち続ける男が綴るよもやま話。
山下政治の感性のアンテナがさまざまなものをキャッチします。

柔道とJUDO

2021.08.02

2020東京オリンピックJUDOの競技が終わった。初日から最終日まで予選から決勝戦まで全て観た。日本選手団の大活躍は拍手喝采だ!男女で全ての階級で金メダルを取ったことは素晴らしい。

格闘技の大好きなボクはもちろん柔道も大変面白く観戦する。柔道は1964年のオリンピックから正式種目JUDOとして始まり、その後国際大会・オリンピックと今日まで続いている。

ある時、たしか1984年の五輪ロサンゼルス大会のJUDOを観た時だったと記憶しているが、JUDOを見ていて感じたことがあり、発明家であるボクは柔道着の考案をしたことを覚えている。試合中柔道着がはだけてだらしなくなったまま試合をしていた。礼儀正しい柔道なのだが柔道着があんなにはだけた状態で試合をするのを見て見苦しい思いがあった。審判が帯締め直しを促すがすぐにまたはだけてしまう。そこで考案したのがはだけることのないツナギ状の柔道着である。柔道着の上と下が繋がっていてはだけることはない。もちろん見た目は通常の柔道着でちゃんと帯はする。でも上下がつながっていると背負い投げなど担ぎ技の時の投げが変わってしまうことに気がつき特許庁への申請は止めた。

その後JUDOはルール改正が何度もあり得点制になり、”有効”、”効果”、技ありは加点、相手と組まなかったり技を掛けなかったり消極的な組み手をすると”指導”が与えられ3回で失格になった。しかしこのルールの下での試合は面白くない。指導が3回なくても”指導”の数で勝敗が決まることがある。時間内で勝負を決めるため、大した技もなく相手の”指導”の数が多いとあとは勝つために逃げるのだ。これは柔道ではなくこれがJUDOなのである。また中途半端な”有効”とか”効果”という加点も不明。柔道は技を仕掛け一本取っての勝負だ。最後まで一本にこだわり戦い続けてほしいのだがJUDOはそうではない。そのため多くの日本選手が悔しい思いをしたであろうことは多くの観戦者はわかっている。

しかし2020東京オリンピックのJUDOは柔道に近づいた。延長戦(ゴールデンタイムという)は時間無制限で技ありもしくは一本でないと決着が付かないルールになった。これによりお互いに逃げることができず最後まで戦い続けるのだ。疲労し戦闘意欲がなく何もしなくなった場合にのみ審判は”指導”を発動し3回で反則負けを宣告するのは観ていて納得がいく”指導”の出し方である。いわゆるレフリーストップのTKOだ。また攻撃しているぞ、とアピールするだけの偽装攻撃(掛け逃げ)も厳しく”指導”が与えられる。実にいいことだ。以前は比較的早い時間に曖昧な”有効”を取るとあとは技をかけたふりの偽装攻撃により時間を潰しそして最後は逃げて勝つ選手がいたものだ。

それとボクとしてはなんと言っても柔道着がはだけるときちんと審判がその都度帯締めをさせることだ。これでボクのかつて考案したツナギはもう必要がなくなった。

しかしまだ本戦の4分間に技ありを取ると時間をみて”指導”覚悟で偽装攻撃したり逃げる選手はいる。本戦中は技ありを取った選手が偽装攻撃した場合のみ”技あり取り消し”というルールがあると戦い続けなければならなくなり、もう一歩ルール改正が必要だがとボクは思うが、以前から比べれば断然柔道らしいJUDOだ。

それにしても日本選手のJUDOは柔道を貫いていた。技ありを取っても最後まで一本を取りにいく。勝負を一本にこだわっていた。そして勝っても相手を敬い顔色ひとつ変えず畳から去る。見ていて「あれ技ありかよ?」と思う審判の判断も見受けたが一切の不満を見せずに負けて去る。試合後でも銀メダル、銅メダルでは喜ばない。柔道競技がオリンピック競技になり世界のJUDOという競技となってからJUDOはもはや日本の柔道の精神はなくなったとボクはずっと思っていたが、どっこいニッポン柔道のDNAは受け継がれていたのだと胸が熱くなった。

無観客の日本武道館でのニッポン選手の大活躍。そういえば日本武道館は靖国神社はすぐ隣だ。英霊たちは応援に駆けつけくれたことだろう。あの無観客の席は英霊たちのための席だったのだ。ニッポン選手は英霊たちの声援が確かに聞こえたことだろう。

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